なんとなく、Tinderを始めた。
動機は別記事で書いた通りだ。大した理由じゃない。
スワイプして、マッチして、ぎこちないメッセージを送る。それだけで、なぜか少し気分が変わった。
動いているうちに、根拠のない自信がついてきた。
性転換映画のデートも、立川でのテキーラ勝負も、傍から見ればただの失敗談だ。
でも不思議なことに、やらかすたびに少し図太くなっていった。
「まあ、なんとかなるか。」
根拠はない。ただ、場数だけがあった。
これが自信の正体だと、今なら思う。理由があって生まれるものじゃない。動いた回数が、そのまま自信に変換される。
女性のレビューは、どんな自己分析より正直だった。
友達に「お前、いけるよ」と言われても、あまり響かない。バイアスがかかっているのがわかるから。
でも、立川のホテルで年上OLに言われた一言は違った。
「年下も、悪くないね。」
ゲロまみれのベッドの上で言われた言葉としては、あまりにも詩的すぎる。でも、あれが僕が受け取った中で一番正直なレビューだった。
褒め言葉ですらない。ただの評価だ。でもその評価が、根拠のない自信に「根拠」を足してくれた。
結局、PDCAだった。
そんなつもりは全くなかったけど、振り返ると構造はシンプルだ。
登録して、動いて、女性の反応をもらう。自信になるか、改善点になるか、どちらかだ。そしてまた動く。
遊んでいたつもりが、気づいたら自分を作っていた。
大学に馴染めなくて、なんとなく始めたアプリが、そんな話になるとは思っていなかった。
ここに書いたのは、ほんの一握りだ。
今まで書いてきたデートの話も、女性からもらったレビューも、実際に経験したことのほんの一部にすぎない。
もっとひどい失敗もあったし、もっと印象的な一言をもらったこともある。書けない話のほうが、圧倒的に多い。
それでもPDCAは回り続けた。一握りの話の裏側に、無数の場数があった。
居場所は、自分で作るしかない。
大学に馴染めなかった僕が言っても説得力はないかもしれないけど、ひとつだけ言える。
動いた人間にしか、レビューはもらえない。
いいレビューも、悪いレビューも、どちらも動かなければ手に入らない。そしてそのレビューが積み重なったとき、気づいたら居場所ができていた。
Tinderの中に、じゃない。自分の中に。
(漠然と始めたことが、意外と人生を変えることがある。)
今となっては、Tinderが最適かどうかも怪しい。マッチングアプリの選択肢が増えすぎて、どれを使えばいいかわからない時代になった。でも結局、どのアプリを使うかより、登録して動いた事実のほうが大事だった。
※ 当時はTinderを使っていたが、今はアプリの選択肢も増えた。どのアプリかより、動くかどうかのほうが大事だと思っている。

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